迷子、ときどきガイド

苦手なものは化学物質、日光、気圧の変化、大きな音、雑踏、嘘や建前、人前で話すこと。自分でもどう生きてきたのか不思議だけど、対人援助職で15年。マイクロスコープのような目で、砂金のように輝きを放つ詫び寂びを見つけるのが趣味。半畳で宇宙を感じる日々を綴るブログ。

10年ぶりの『ゼロ』

「だからやめとけって言ったのに、対人援助職をかれこれ15年もやっている人」です。

約10年ぶりのブログで、初めての記事を書きます。

 

10年ぶりの『ゼロ』

最近見たある夢

最近、ある夢をみました。なにかがモクモクと煙をあげて燃えている光景です。

夢の中の私は、燃えている「なにか」が、以前にも燃えて跡形もなくなり、

再び造り上げられた経緯を知っているという設定。

 

「また燃えたの?気の毒に」

「何やってんの。学習しなさいよ」

「次はもう、(再構築は)無理じゃない?」

 

そんなふうに思いながら、煙を眺めているという夢。

これを、自分で分析してみたところ・・・。

 

自己分析の結果

どうやら現実の私は、なにかを失いなにかを生み出すタイミングのようです。

煙は私の怒りによる自然発火であり、燃えているのはまやかしの生き方。

 

「まやかしの上に成り立つものを、後生大事にしても仕方ないよ」

「いつからでも、なんどでも、ゼロから立ち上がるのが強みでしょ」

 

なんと、新たな節目を迎えた私自身をエンパワメントする夢でした。

 

夢(無意識)と、現実(意識)との相関性

最近、芸術家の友人と刺激的な徒然話をしているせいか、

無意識方面がふつふつと活性化しているこの頃。

友人との対話のなかで、10年も昔の私自身の表現活動について

思い出話をする機会がありました。

 

自分で決めたことではあるのですが、10年前のキャリア途絶以来、

力を尽くさないぬるい生き方に私自身が内心不満をもっていること。

当時の環境は恵まれたもので、理解者や支援者を喪失した戸惑いが

未だ癒えていなかったこと。

敗北、喪失、とらわれ、哀惜、感謝、さまざまな感情が脳内を貫きつつも、

それらはすでに、自我が壊れるほどに圧倒的なものではなくなっている・・。

 

なるほど、今がようやくごまかさずに話せる時期なのだと悟りました。

「もう、ごまかさなくていいんだ。もう、嘘をつかなくていいんだ」

罪をおかした人が自白を遂げた安堵感とでもいうのでしょうか。

 

私は、何度でもゼロになろうじゃないか。

私は、私自身でいることを好きでいようじゃないか。

 

そのたしかな決意の余韻が夢にもあらわれ、燃えるなにかのイメージで

私自身に伝え返されたということ。

 

共時性シンクロニシティ

私は芸術家の友人に、「嘘つきのときはモノが書けない」と言いました。

私が書いた文章を読んで友人が感情を露わにしたときには、

「不特定多数に向けて文章を書くのは、後ろから刺される覚悟が必要」

(だから簡単には書けない、という言い訳)とも言いました。

 

ああ、こうして言い訳をしてきた10年間だったんですね。

ゼロになる勇気がなかった10年間、長いですね。

 

芸術家の友人との刺激的な対話と、燃える光景の夢をみたこと、

そして立ち上げたままで放置していたブログを書き始めたこと。

起こるべくして起こる。意味のある偶然の一致。

 

昨日の私には想像もつかなかったことが、今日は起きる。

そういう世界が大好き。楽しい。

 

プロフィール「半畳で宇宙」の所以

ぼーっと座ったまま、ノートとペンをもって思索する。

はたと閃きPCに向かう。その間、一時間。その場、半畳。

傍から見たら、私は半畳スペースからほとんど動いていませんが、

「私」は肉体をはなれ、意識と無意識を無尽に駆け巡る。

半畳にて宇宙規模のスペクタクル!

 

「半畳で宇宙」とは、そういうわけです。

では、また次の思索へ・・。