迷子、ときどきガイド

苦手なものは化学物質、日光、気圧の変化、大きな音、雑踏、嘘や建前、人前で話すこと。自分でもどう生きてきたのか不思議だけど、対人援助職で15年。マイクロスコープのような目で、砂金のように輝きを放つ詫び寂びを見つけるのが趣味。半畳で宇宙を感じる日々を綴るブログ。

2020年、自分を生きる

2020年、自分を生きる

 

謹賀新年

2020年は、笑顔と感謝にあふれる素晴らしい幕開けとなりました。

よく笑い、よく喋り、よく寝て、よく食べ、よく歩き、よく遊び、よく買う(?)

なかなか愉快な滑り出しです。

 

暗闇を走った2年間

2019年の今頃を思い起こしてみると、本当に真逆。

(昨年は、2月に社会福祉士の国家試験を控えていてピリピリモード)

数分でも時間が取れれば試験勉強に打ち込み、感染症対策で24時間マスク装着。

不要不急の外出は控え、家族にも我慢を強いたストイックな年末年始でした。

 

2018年もひどかった・・。

東京から(なぜか)千葉県まで、施設実習へ通う日々。

年末年始をはさんだ実習期間の設定のため、正月休みも気持ちは休まらず。

毎日、本当に同じような格好で、ひたすら電車とバスを乗り継いで往復。

ユ〇クロのヒー〇テックをインナーに、フリースタートルネックを重ね、

ボアパーカー、黒かデニムのストレッチパンツに黒いスニーカー。

この組み合わせを2~3組ほど用意して着まわしていただけ。

コーディネートなんて考える余裕はない。

洗濯物の山からどれを引っ張り出して着ても大丈夫なように、

服の色は、白、黒、ベージュ、グレーのみ。お洒落感ゼロの2ヶ月間。

 

10年間を過ごした心理学の世界から社会福祉の世界へ。

始めてしまったことにはケジメをつけねばという一心で走った2年間。

次の扉を開けるために自らに課した資格取得までのプレッシャー。

とにかく試験を突破せねば、何事も始まらぬと思っていたのでした。

 

別にね、社会福祉士という資格じゃなくてもよかったのかもしれない。

何もね、資格を取らなくてもよかったのかもしれない。

だけどね、福祉の世界に飛び込んで2年経った今思うことは、

資格取得は、次の扉を開けるために必要な儀式だったのだということ。

今まで歩んできた道に敬意を払い、支えてくれた方々に感謝しつつ、

迷いなく新しい道へ踏み出すためのね。

 

『つなぐ』準備は整った

リラックスして笑いながら新年を迎え、そして新たなチャンスがめぐってきて、

思い出しました。私が使うべき『つなぐ』力について。

 

これまでの経験では、私がかかわる場では、一見つながりの見えにくい

バラバラな個人や機関が、いつの間にか意外かつ有機的なつながりを

醸成するという展開が、たびたびありました。

必ずではないけれど、私が深く想いを傾けた場ではそれが起きる。

 

私が何をしているかと言えば、バラバラな個人や機関のひとつひとつを、

まず私自身がしっかり理解し受け入れ敬意を抱くということ。

これが必須の条件だと思う。

ひとつひとつの世界と深くつながった状態の私が媒介となることで、

頑なだったものにほころびが生まれ、バラバラだったものが

他のものとゆるやかなつながりを生み始める。

 

良くも悪くも変わるということに対して、人は怖れを抱きやすいもの。

これまでの生き方との整合性が保てないことに対する面目なさとか、

新しい自分を受け入れてもらえないかもしれないという不確実さや所在なさを、

笑って丸ごと包むことができたら、ささやかだけど安心を担保できる。

「変わることは悪くないし、怖くない、大丈夫」と思ってもらえる。

つまり安心で安全な場を提供できたら、人も組織も変わる勇気を得る。

 

ピリピリモードの2年間を経て、今年は力が抜けていい感じ。

何としても今年は、私に与えられた『つなぐ』力を使わせていただきたい。

初詣では、そのように決意表明してまいりました。

 

2020年のチャンスの波は、実は具体的に目前に来ている予感。

あとは私がその波をとらえて乗りこなすだけ。

波よ、こいこい。どうか私に力を使わせてください。

未曽有の危機に光明あらわる

 

 

未曽有の危機に光明あらわる

 

 衝撃の瞬間

2019.11.19.23:07

 これは何の数字か。

『40年来の敏感肌、未曽有の危機に逆転劇の兆し!!』

もう、まさにその瞬間の時刻である。

 

心臓がバクバクしてうまく言葉を紡げないのでありますが、

無理やり例えるなら・・そうだな。

 

「夫が少し長い出張から戻ったとき、迎えた妻はなんとも言えぬ違和感を抱いた。

日常にまぎれ数か月が過ぎゆく。

ある日、妻の違和感の点と点がつながり、ここ数か月一緒に暮らした男は夫ではなく

夫に似た別の人間であることを察する」

 

確信と新たな疑惑に包まれる瞬間・・・そんな感じ。

なにを大げさな、と思う人もあろう。しかし、ここはあえて大げさに言う。

 

そもそも論

そもそも私はアトピー体質で、肌のトラブル歴は40年を越す。

初めて日光でアレルギーが出たのは中学時代。

ここ2か月半、その日光アレルギーの症状で皮膚科通いをしていた。

短時間の日光暴露でも、顔や首、腕が赤く腫れ、蕁麻疹や水疱ができる。

ひどいときは頭痛や発熱、吐き気も伴う。いわゆるアレルギーの症状。

命にかかわるものではないが、生活の質がとてつもなく落ちる。

症状抑制のためにアレルギー薬を服用。症状が出ればステロイド薬を塗布。

それで何とか過ごしていたところである。

 

 症状が出ないときというのは、体調と環境をうまく調整できているとき。

日光、化粧品(日焼け止め含む)、肌に触れる生地、化学物質、食事、

睡眠、心身の疲労の度合い、なんでもアレルギーの引き金になる。

 

特に化粧品類は要警戒。

アレルギーを起こすと顔が腫れ上がり、元の顔がわからなくなるほど。

かなり慎重に選び抜いたものしか使用していない。

日焼け止めは20年、基礎化粧品は10年、メイク用品も5年以上、

同じメーカーのものを使っている。

(日焼け止めはノンケミカルが命綱なので、冒険しない)

 

なのに、この2か月半、未曽有のアレルギー乱射事件である。

今夏の日差しが例年よりも強かったのか。免疫力が著しく落ちていたのか。

気も狂わんばかりに考え抜いたが答えは出ない。

 その答えが出たのだ。先の時刻に。

 

まさかの手落ち

天気の良かった日は顔が腫れるため、ステロイド薬を使う。

いつものように洗面所で薬を塗った後、ふと日焼け止めのSPF値に視線を落とした。

 

『SPF50』

 

さらに見つめた。・・・ない。『ノンケミカル』の文字がない。

目を皿のようにして見つめたが、ないものはない。

私が20年間買い続けた日焼け止めは、『SPF45 ノンケミカル』と表記があるものだ。

ぬぬぅ、SPF50だと?!さては、おぬし影武者だな!!

 

実は同じ敏感肌用のシリーズで、ノンケミカルではない日焼け止めがある。

ほぼ同じデザインでSPF値が違う。その存在は既知である。

知らないわけがない。『ノンケミカル』を、わざわざ選んで買っていたのだから。

つまり、この私が間違えて購入したのだ。

嗚呼、2か月半も気づかなかったとは不覚!!

 

ノンケミカル=紫外線吸収剤不使用

とんでもない失態。私が看護師や医師なら医療事故レベルの痛恨のミスじゃないか。

(注:紫外線吸収剤は、アレルギーのない方にとっては問題ないもの)

 あんなに気をつけていたのに。もっとも気をつけていたのに。

ノンケミカルじゃない日焼け止めを、2か月半も肌にすり込んじゃったなんて。

毎日使っていた醤油さしに、かなり存在感のある虫が沈んでいるのを発見した

ときのような気分だよ。白装束で滝に打たれながら絶叫したいよ。

洗面所にて、我を失うこと3分。

 

 光明を見出す

激震が去りゆくとともに、未曽有の危機に終止符が打たれる期待感で、

やけに心が温かくなるのを感じた。

事実に基づく期待や希望って、こんなにも人を癒すものなんだ。

明らかに異変が起きているのに、どこに向かって何を頑張ればいいのやら

皆目見当がつかないときというのは、ものすごく苦しいものらしい。

 

最近、学校になじまない子の親御さんの声を聴く機会があったのだけど、

今一つ、我がこととして寄り添えないもどかしさを感じていたところ。

他者への共感の糸口は、こんなところで生まれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10年ぶりの『ゼロ』

「だからやめとけって言ったのに、対人援助職をかれこれ15年もやっている人」です。

約10年ぶりのブログで、初めての記事を書きます。

 

10年ぶりの『ゼロ』

最近見たある夢

最近、ある夢をみました。なにかがモクモクと煙をあげて燃えている光景です。

夢の中の私は、燃えている「なにか」が、以前にも燃えて跡形もなくなり、

再び造り上げられた経緯を知っているという設定。

 

「また燃えたの?気の毒に」

「何やってんの。学習しなさいよ」

「次はもう、(再構築は)無理じゃない?」

 

そんなふうに思いながら、煙を眺めているという夢。

これを、自分で分析してみたところ・・・。

 

自己分析の結果

どうやら現実の私は、なにかを失いなにかを生み出すタイミングのようです。

煙は私の怒りによる自然発火であり、燃えているのはまやかしの生き方。

 

「まやかしの上に成り立つものを、後生大事にしても仕方ないよ」

「いつからでも、なんどでも、ゼロから立ち上がるのが強みでしょ」

 

なんと、新たな節目を迎えた私自身をエンパワメントする夢でした。

 

夢(無意識)と、現実(意識)との相関性

最近、芸術家の友人と刺激的な徒然話をしているせいか、

無意識方面がふつふつと活性化しているこの頃。

友人との対話のなかで、10年も昔の私自身の表現活動について

思い出話をする機会がありました。

 

自分で決めたことではあるのですが、10年前のキャリア途絶以来、

力を尽くさないぬるい生き方に私自身が内心不満をもっていること。

当時の環境は恵まれたもので、理解者や支援者を喪失した戸惑いが

未だ癒えていなかったこと。

敗北、喪失、とらわれ、哀惜、感謝、さまざまな感情が脳内を貫きつつも、

それらはすでに、自我が壊れるほどに圧倒的なものではなくなっている・・。

 

なるほど、今がようやくごまかさずに話せる時期なのだと悟りました。

「もう、ごまかさなくていいんだ。もう、嘘をつかなくていいんだ」

罪をおかした人が自白を遂げた安堵感とでもいうのでしょうか。

 

私は、何度でもゼロになろうじゃないか。

私は、私自身でいることを好きでいようじゃないか。

 

そのたしかな決意の余韻が夢にもあらわれ、燃えるなにかのイメージで

私自身に伝え返されたということ。

 

共時性シンクロニシティ

私は芸術家の友人に、「嘘つきのときはモノが書けない」と言いました。

私が書いた文章を読んで友人が感情を露わにしたときには、

「不特定多数に向けて文章を書くのは、後ろから刺される覚悟が必要」

(だから簡単には書けない、という言い訳)とも言いました。

 

ああ、こうして言い訳をしてきた10年間だったんですね。

ゼロになる勇気がなかった10年間、長いですね。

 

芸術家の友人との刺激的な対話と、燃える光景の夢をみたこと、

そして立ち上げたままで放置していたブログを書き始めたこと。

起こるべくして起こる。意味のある偶然の一致。

 

昨日の私には想像もつかなかったことが、今日は起きる。

そういう世界が大好き。楽しい。

 

プロフィール「半畳で宇宙」の所以

ぼーっと座ったまま、ノートとペンをもって思索する。

はたと閃きPCに向かう。その間、一時間。その場、半畳。

傍から見たら、私は半畳スペースからほとんど動いていませんが、

「私」は肉体をはなれ、意識と無意識を無尽に駆け巡る。

半畳にて宇宙規模のスペクタクル!

 

「半畳で宇宙」とは、そういうわけです。

では、また次の思索へ・・。